こんにちは、スズキです。
突然ですが皆さん、
「座右の銘」ってお持ちですか?
「座右の銘」っていうとオーバーかもしれませんが、
大切にしてる言葉、心に残っている言葉、などなど。^^
私スズキにもありまして。
しかも3つ。笑
実は先日、友人から相談を受けた際、
その内の1つを思い返す機会があったので、
今日のコラムは、その言葉に触れようかと思います。
早速、はじめに紹介すると、
(ちょっと照れますね。^^;)
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「信じるということは 相手への期待ではない。
自分への決意である。」
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です。
実は、私たち姉妹の実家はお寺でして、
↑の言葉は、昔実家のトイレにかかっていた(笑)
日めくりカレンダーの言葉でした。
(あ、画像のお寺はイメージです!実家とは全っ然違います〜)
この言葉にハッとした当時、
思春期まっ最中だったか、
もう少し年齢が上になっていたか、
ハッキリとはもう覚えていないのですが、
まあ、青くて若かったですから、
日々のしょうもない悩みも、
割と心を占める悩みも、その大半は人間関係です。
(恋愛も含め。笑)
いや、若かろうが歳だろうが、
人の悩みの大半は人間関係かもしれませんね。
そんな人間関係の全般において、
私にとっては、すごくグサッときた言葉でした。
相手を信じると言いながら(思いながら)、
その言葉の陰で、相手に自分の思うようで居てほしい、
みたいな期待が大きかったな、と。
(信じてるんだから、こうしてほしい。だとか、
信じる相手なら、こう感じてくれるはず。とか・・苦笑)
でも、本当は「信じる」って、
相手がどうかは一旦さておき、
仮に相手がどうであっても
自分がその相手を信じると決めるかどうか、
・・・なのかもしれない、と。
だって、どんなに親しい間柄でも(家族も友人も恋人も)、
究極突き詰めれば他人であり、
別々の脳みそを持っていて共有はできないのだから、
どんなにそこを想像して探って悩むことに
時間を費やしても
相手の心を100%確実に読み取ることはできない。
まして、相手の心を操作することもできない。
それなら、
自分が信じると腹を決めるかどうか。
結局それしかできないんだな。
その上で、
それが到底できそうにもない相手なら、
残念だけど諦めて手放すしかないし、
「信じる」ことができそうなら、
深く考えすぎずに素直に信じよう。
・・・そんなことを思わされ、
それ以来、大切にしています。
そうしたら、色々な人間関係も
何だか気持ちが楽になりました。
かつて、人にどう思われるかを
いちいち気にしすぎるところがあったので、
そこは悩みすぎても仕方ないんだと、
いい意味で吹っ切れることができました。
自分が信じられると思えば、
色々邪推せずに、前向きに明るく信じていればいい。
(基本的に、性善説です。笑)
それで、もし仮にそんな相手から、
ネガティブな対応を受けたとしても、
自分が信じた時間に嘘はなく、
その経験が私の人を見る力を磨くのかな、と。
だから、信じたことに後悔はないと胸を張れるかな、と。
今は、そう思っています。
もちろん、今でも人にどう思われるか、
とっても気になります。
↑のように、スッキリとはできないことも沢山です。
でも、それを気にしすぎて、
行動を狭めるのはやめようと。^^
たった一度の人生。
日本人だけでも1億以上の人がいれば、
合う人も合わない人もいるさ!
合わない人にフォーカスして小さくまとまるより、
合う人に恵まれていることに感謝して、
素直に楽しくのびのび生きていきたい!
・・・・
最終的には、
そんな能天気な「座右の銘」なのでした。
始まりはトイレですが。笑
「信じる」・・・
難しくて深くて、でもシンプルです。
皆さんの座右の銘は何ですか?
いつか残りの2つも、
気が向いたら(ネタ切れに困ったら)
コラムのお題にしたいと思います。
追伸:
ちなみに、一番「信じる」のが難しい相手は
・・・・我が子!笑
つい、多くのことを期待し、
思い通りであってほしいと思い、
怒りすぎてしまいます。反省・・・。
ヤマダです。
「信じる」。
確かに深く、難しいですね…。
ただやはり、それは「自分の」行為と思うと、
行きくつくところは自分次第なのだと、
改めて考えさせられました。
座右の銘、ここでは長くなりそうなので、
今回は、実家の日めくりカレンダーで
地味に覚えてるシリーズで(笑)
「たった一人のふくれっ面が、家じゅうみんなを暗くする」
真ん中っ子で、よく拗ねたりふくれたりすることの
多かった幼少期。
それを母からも度々叱られていたのですが、
そんなある日、カレンダーにドーン!とこちら。
グサッ!!
達筆なその文字が静かに幼な心に刻まれました…(笑)
時を超えて今、我が家にも娘達に向けて貼りたい…。