こんにちは、スズキです。

夏休みですね!
子どもの頃の夏休みの恒例といえば・・・

キャンプ、花火、プール、家族旅行、
セミ採り、かき氷、素麺、甲子園TV観戦、

色々ありますが、
私にとって夏休みに欠かせない記憶の一つは、

夏休みの宿題。

皆さんは、夏休みの宿題を、
先に終わらせるタイプでしたか?
それとも溜め込むタイプでしたか?

私は、

かんっぜんに溜め込むタイプでした!

とは言っても、
得意分野(夏休みの友やドリル系、作文ナド)
は、あっという間に終わらせるのです。

後に残るのは、
絵(ポスター)、工作、手芸、自由研究・自由工作など。

ええ、そうです。
小さい頃から、とてもわかりやすく左脳派でして(笑)、
図画工作やお裁縫、
「自由にやっていいよ!」系のものが
すごく嫌でした。

そうやって、溜めた宿題がどうなるかと言えば。

これまたあるある話ですが、
家族の登場です。

それが、ちょうどよく(?!)母が、
わかりやすい右脳派でして、
まさに絵や工作、お裁縫が大得意。

小学生の頃の、右脳系の夏の宿題は、
ほとんど母に手伝ってもらった気がします…。

母が構想を描き、下書きをし、色ぬりも手伝ってくれた
歯の健康ポスターで、何度入賞したことか。苦笑

自由工作として、母が作ってくれたクッションで、
「上手だねえ!」と
何人から褒められただろう。
(私は、ほぼ生地を選んだだけ。
 今でも、あのクマさんの柄を強く覚えてる。)

小1の自由研究なんて、
何をしていいかわからず、
母が図書館で自由研究の本を借りてきてくれて、
そこに載っていた「アサガオの観察」に決まったはいいものの、
(花の咲いた数や種の取れた数、その日の天気などを毎日記録し、
 模造紙で表にするというもの)

花の数を毎朝数え、天気もメモしてくれるのは、
早起きが日課のおばあちゃん!
最後に表を作る作業は、母がやってくれました。
私は、表の中身をちょろっと書いただけ。苦笑

・・・・
そうやって最後に必死に(誰が?)終わらせた
夏休みの宿題でした。
親になってみて、やっとあの頃の母の気持ちが
わかる気がします。

 

では、いざ親としての自分はどうか?と言えば、
自分の苦い(?)記憶があることや(笑)、
「やるべきことは先にやる」クセを付けたいという思いから、
小2の娘に、口酸っぱく「宿題は?」と言っています。

そんな私に、娘も時にウンザリしながら、
「あーあ、やることばっかり!」と言い、
早め早めに宿題をやっています。

そんな時、ふと思いました。
私は、母に「宿題は?」なんて、
こんなに度々言われただろうか、と。

いや・・・言われてない。

母は、今も昔も変わらずおおらかで、
細かいことはほぼ言わず、
何事も、基本、子ども達に任せっぱなしでした。
(そんなわけで溜め込むことになるのですが。笑)

ま、自営業でもあり、特に夏は忙しかったので、
あまり子供に構えなかった、というのもあると思いますが、

そのおかげで、自由気ままに、
大して小言を言われることもなく、
のびのびと過ごしたあの夏休みは、
私にとって、学校にも何にも縛られない煌く毎日でした。

たとえ、そのせいで宿題が最後に溜まったとしても、
母に「まったくもう」と言われながら、
ラストスパートで宿題をやったとしても、
それでも、かけがえのない夏休みだったなあと今思うのです。

それに。
小学校の頃、そうやって夏の宿題を溜めがちだったからと言って、
大人になった私が、仕事を溜めて人に迷惑をかけたか、
と言ったら、それはそうでもないし、
ま、確かに今でも、〆切ギリギリ派ではあるものの(笑)、
でも、それはそれなりに、自分の加減を知っていて、
そろそろやらないとマズイみたいなところでは、
ちゃんと始められる。
ギリギリ派にはギリギリ派なりの学びと経験値があるのだ。

 

そうかあ・・・
だとしたら・・・

この夏休みくらい、
娘にあの自由な羽をあげてもいいのじゃないか。
昔に比べても、何かと縛りの多い現代、
自由気まま、って、ものすごく貴重なんじゃないか。

そんな風に思えてきました。

もう今日から「宿題は?」と言うのは
やめてもいいのでは。

きっときっと宿題を溜めるだろうけど、
その時は「まったくもう」と言いながら、
今度は私が、娘の宿題を手伝おう。

それが、幼い頃私を手伝ってくれた母への
一つの恩返しになるのかもしれない。

そんなことを考えてみた
夏休みの始まりでした。

 

私だって、自分で難なく終わらせた宿題より、
家族に手伝ってもらった宿題の方が、
よっぽど強く覚えてる。

もちろん、一から十まで自分でやった方が、
自分の能力としては身につくのだろうけど、

でも、あまり能力にならなかったとしても、
そうやって夏の記憶として深く残るなら、
それはそれで素敵なことかもしれない。

なんてことない一場面だけど、
母に手伝ってもらった思い出として、
私は、きっと一生忘れないと思うから。

 

だから、娘にも、夏休みの自由を!
そして、
きっと訪れるであろう宿題の手伝いを経て、
娘にも母との一生の思い出を。

・・・なーんて、キレイゴトにして、
宿題の手伝いを正当化している私でした。

なんだかんだ、
小学生の宿題って、母親が手伝わざるを得ない場面、
多いですよね。

もちろん、全部手伝うわけにはいきませんし、
何から何まで口出しする、というのはまた違うと思いますが、
最後にピンチを救ってくれる母の姿は、
きっと、子どもにとって大切な記憶になるはず。

小学生の母の皆さん、頑張りましょう!

(スズキ)