夏の甲子園が、始まっています。
今年は、甲子園が始まって100回目という
記念すべき大会です。

私は、小さい頃から甲子園をテレビ観戦するのが大好きでした。
実家の家業の関係で、
8月前半は、両親ともにとても忙しく、
基本的に家や近所で過ごした夏。

そんな日々の中、甲子園が開幕すると、
我が家のテレビは基本的に甲子園がずっと流れていたのです。
父が野球好き、というのもありましたが、
私たちが育ったのは福岡県。

なぜか九州人って、
県を越えて「九州」というくくりでの意識が強く、
地元の県が勝ち進むかどうかはもちろん、
九州の各県が勝ち進むかどうかも、
我が県と同じような心持ちで応援していたため、

九州沖縄合わせて8県もあれば、
毎日どこかしらが対戦しており、
そんな事情から、ずっとテレビが付きっぱなしでした。

新聞の見出しにも、
「九州勢、残るは4校」などと出ていた記憶もあり、
我が家に限らず、九州という地方をあげて、
ある種ひとくくりの意識があったように思います。

しかも九州勢、強豪が多かったのですよね。
ベスト8のうち、半分は九州ということも珍しくなく、
毎晩、ニュースを見ながら、
「九州はあといくつ残っとるね?」
という祖母の問いに
「福岡と鹿児島と熊本と沖縄!明日は熊本が出るんよ!」
みたいに知らせるのは、
私たち姉妹の役目のようなものでした。

初盤で九州勢同士が対戦しようものなら、
「なぜ身内同士で潰しあわねならぬのか」という心境になり、
子ども心に歯がゆくてたまらなかったのを覚えています。
一方、ベスト8などで九州同士が当たる時には、
「あああああー!どっちを応援しようーーー!
 別の県と当たればいいのに!」と
真剣に悩んでいたものです。苦笑

そんな私たちを見て、大人たちは
「しゃあなかやんね!(仕方がないでしょ!)」
と言って笑っていました。

今思えば、子どもだからこそ余計に
純粋に肩入れしていたのでしょう。
毎日テレビ画面に「頑張れー!!」と応援の声をあげ、
ピンチの時には「お願いお願いお願い!」と天に祈り、
点が入れば、飛び上がって喜び、
もう見ていられない時には思わず目をつぶり、
まさに一喜一憂しながら、試合を見守る。
今思えば笑えるほどですが、本当に良い思い出です。

 

そして、今、
あの頃の自分たちと同じ年頃の子どもを持つ母親となりました。
残念ながら、夏の甲子園は家事の片手間に見るか、
ニュースで結果を見る程度になってしまいましたが、
やはり今でも九州勢の活躍には胸が弾みます。

一方、訪れた心境の変化しては、
九州勢に限らず、球児たちの懸命な姿の一つ一つに
胸を打たれるようになったこと。
そして、甲子園という舞台を支える
数多の人々への想いを馳せるようになったことです。

あの甲子園という場所は、
各県の代表同士が、単に勝ち負けを決めるだけの場ではない。

あの場所には・・・一つ一つの試合には、
数え切れないほどの想いが詰まっている。
そのことがわかるようになりました。

この甲子園という夢舞台にたどり着くまでに
努力し、葛藤し、乗り越えてきた選手たちの想い、
予選で惜しくも敗れた選手たちの想い。
様々な事情でベンチ入りから外れている選手もいるでしょう。
被災地など、地元にとって希望の星になっている出場校も多くありますし、
選手を支える家族にも強い想いがあるはず。

(娘に、ちょっと真剣な習い事をさせているのですが、
 ただの一つの習い事であっても、親も家族も、
 娘の都合に合わせなければならないことが多くあります。
 ということは、あの舞台に立つほどの選手であれば、
 家族が一丸となり、あらゆる面でその選手を支えていることだろう、
 と我が事のように想像できるようになりました)

そして、監督やコーチにも家族がある。
彼らは自分の家族より球児を優先せざるを得なかったかもしれない。

そしてそして、
これまで甲子園という歴史を作ってきた
過去の野球少年達やチームがあってこそ、今の大会がある。
戦時中を経て、それでも大会を復活させた方々の
祈るような想いもある。
あれだけのイベントを100年にもわたって運営し続ける
裏方の人々もいる・・・・。

そんな、数え切れないほどの想いと歴史が
脈々と受け継がれてきたあの場所で、
公正なルールのもと、真っ向から繰り広げられる真剣勝負。
だからこそ、私たちは球児のプレーの一つ一つに胸を打たれ、
100年もの長きにわたり、愛される大会になっているのだと思います。

 

今年、甲子園の開幕試合の始球式に
松井秀喜選手が登場しました。
しかも、その松井選手のバックを守ったのは、
他ならぬ、彼の母校・星稜高校。
元々、開幕試合で松井選手が投げることは決まっていて、
その後の抽選会で、星稜高校が開幕試合を引き当てたそうです。

私は、少し鳥肌の立つ思いでした。

26年前の夏、松井選手は甲子園で
5打席連続の敬遠を受け、その影響もあってか惜敗。
彼の甲子園の夏は終わりましたが、
その26年後の100回記念の大会で、彼が始球式を務め、
そのタイミングに、母校の星稜高校が開幕試合を引き当て、
しかも、星稜高校が勝利し、松井選手は勝利の校歌を後輩と歌う。
そんな奇跡を誰が予想したでしょう。

松井選手自身も、その後のインタビューで
「本当に驚いた。誰かが仕組んだんじゃないのかな」と
笑っていたそうです。

もし誰かが仕組んだとするならば・・・
できすぎた美談のようですが、
野球の神様の仕業かなと真面目に思うスズキです。

これだけの想いを乗せ、
100回に渡って紡がれてきた甲子園に、
野球の神様が、粋なサプライズをくれた気がしてなりません。
そんな想いを巡らせながら松井選手の投球を眺め、
思わず涙腺のゆるんだスズキでした。(大げさ)

昔から涙もろい方だったけれど、
歳をとり、家族を持ち、一段と涙もろくなった!
これも年月による立派な変化(老化?)ですね。苦笑

「今大会もどうか全ての球児に幸あれ。」
そんなお節介心を止められない
母世代の甲子園観戦でもあるのでした。

(スズキ)

※来週のコラムは、ヤマダが夏休みをいただきます!
次回は、8/24,25のいずれかにヤマダがお届けします。
スズキも別のタイミングで1週お休みをいただく予定です。^^